■ 限界破裂 ■









選抜合宿二日目。
その日渋沢克朗は酷く機嫌が悪かった。
虫の居所が悪いとかいうレヴェルの問題ではなく、明らかに殺気を放ち放題放っているといった感じだ。
理由はいろいろあるのだが、強いて言うのなら・・・
【彼の恋人について】
である。
彼の恋人は大変モテる。
それはもう子供から大人まで男女問わず。
それが渋沢克朗にとって悩みの種であり、今現在の機嫌の悪さの原因であった。
モテるのは仕方がない。
自分が骨の髄まで惚れ込んだ人物なのだ、モテない方がおかしい。
しかし、彼の恋人・・風祭将は非常に鈍かった。
どれだけ好意を寄せられようと、ダイレクトアタックされようと気が付かない。
さらりとかわすその姿は、もしやわざとでは!?と何度思わされたことか。
だが、それらがわざとかわされたという事実は一度としてなく、風祭将は極度の鈍さで今までその身を守り通してきた。
それを、だ。
それを渋沢克朗は1ヶ月という短期間で打ち破ったのだ。
これを根性・・否、愛と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
とにかく、なみいるライバル達を蹴落としてみごと勝ち取った将の恋人の座だったが、
一癖も二癖もあるライバル達がそれで諦めるなどと言う殊勝なことはあるわけもなく。
渋沢の頭を悩ませることになっているのだった。
将が取られるのでは・・という不安は微塵もない。
将は浮気や心変わり等とは縁遠い人種だし、それ以前に彼は極端に鈍い。
そういった心配はないのだが・・・・
彼の悩みはそれでなく。
日々溜まるストレスにあった。


【ストレス】
[stress]
 精神緊張・心労・苦痛・寒冷・感染などごく普通にみられる刺激(ストレッサー)が原因で引き起こされる生体機能の変化。
一般には、精神的・肉体的に負担となる刺激や状況を言う。
「−を解消する」


まぁ、とにかく彼には胃に穴が開くのではないかと思うほどの精神的負荷が掛かっているわけである。
諦めずに将にアタックを続けるライバル達の執拗なまでの将に対するスキンシップと邪魔。
普段なかなか会えないというのに。
それなのに、この絶好の機会に話すこともままならないとは。
3日間という限られた時間の中で将と二人きりになる時間など皆無と言って良かった。
1日目の夜。
渋沢は監督に呼び出され、短いフリータイムを将と過ごすことが出来なかった。
これも彼のストレスに拍車を掛けたのだが、こんなことでキレるほど彼は子供ではない。
しかし、監督から開放されてからも何故か将の姿は見当たらず、誰に聞いても知らぬ存ぜぬ
の一点張り。
しかたなしにその日は大人しく床に就いたのだが。
次の日の朝。
つまりは今日、なのだが。
彼の機嫌はすでに最低。地を這っていた。
何てことはない。
ただ夢見が悪かったのだ。
何の夢を見たかはいちいち覚えてはいない。
しかし、悪夢だったことだけは間違いなかった。
まぁ、そんなわけで今日、渋沢克朗は殺気の出血大サービスを行っているわけだが・・・。
意外にもそれに気が付いている人間は少なかった。
それどころではないと言った方がいいのだろうか。
将に構う方が先決で、他人(とはいっても将の恋人だが)の事などどうでもいいらしい。

しかし、その晩、選抜合宿2日目の夜の事。
またしても何処ぞの誰かが仕掛けた罠をかいくぐり、着実に増えつつあるライバルに邪魔をされながら、
行き着いた先が談話室という安易な場所で。
中から楽しげな大人数の声に混じって将の声がする。
おそらく、中にいるメンバーは藤代、水野、不破、三上、椎名、杉原、郭、若菜、真田、天城、・・といったところであろうか?
まったく、将ときたら一体どれだけ人を惹きつければ気が済むのだろう。
しかし、そういって怒ったところで、将にはきっと理解できずに「友達がたくさんできた」と言って喜ぶのに違いないのだ。
渋沢は談話室のドアの前で一つため息を吐いた。
ともかく、こんなところでぼんやりしてる時間はないのだ。
渋沢は談話室に入るべく、ドアノブに手を掛けた。
すると、


『ちょ、ちょっと藤代君苦しいよ・・』
苦しそうな将の声に藤代がいつもの如く将に抱きついている様が伺える。
これには渋沢も幾分かイライラしていたが、これも藤代の性格だと思って今まで我慢してきた。
『そうだよ!お前、将にくっつきすぎなんだよ!』
ドカッ!
どうやらこれにもいつもと同様に椎名の鋭い蹴りが入ったようだ。
ヒステリックな声で藤代を怒鳴りつけている。
『いってぇー!ただのスキンシップじゃん』
ただの、というにはいくらか度が過ぎているように思えたが、彼はまるで犬のような少年なので致し方ないのかもしれない。
しかし、それを許さないのは椎名だけではないのだ。
『風祭が嫌がってるだろう!?』
恐らくあの整った顔を歪めて藤代にそう言い放ったのは水野。
彼は酷く将に執着している。
『お前は羨ましいだけだろ、水野』
『なんだと!?もう一回言ってみろ!』
嫌みったらしく三上が言うと水野は図星を指されたかのように憤慨していた。
この二人は本当に仲が悪い。
根本的に合わないのだろう。
『わ、わ、ケンカしないでよー』
『いいって。ほっておきなよ』
まるで都合がいいと言わんばかりの声は郭だ。
彼はどうやら他の2人よりも目が利くらしく、将の力に早々に気が付いたようだ。
だからこそ今こうしてここにいるのだろう。
『ねーねー、風祭ってさぁ、好きな奴とかいんの?』
『あ、それ俺も聞きてぇな』
核心をつく話に話題転換を図ったのは、藤代と同じく人懐っこいタイプの若菜だ。
それに意外なことに今日会ったばかりであるはずの鳴海までいるらしい。
『僕も教えて欲しいな・・』
扉の外にいる渋沢には見えないが、恐らく特有の微笑みを浮かべているであろう杉原が暗に答えの要求をしているようだ。
こういう言い方をされると将は弱いのだ。
『え・・・?・・・///』
『何!?いんの!?うっそ。誰?誰?』
『結人。風祭が困ってるでしょ』
とっさに顔を赤らめた将を見て(何度も言うようだが渋沢には見えていない、すべて憶測)若菜が少し焦ったような声でせっついた。
『何?じゃあ、お前聞きたくないわけ?』
別にどうでもいいように言った郭に鳴海がすかさずつっこみを入れる。
答えが聞けなくなったらお前のせいだと言わんばかりだ。
『そりゃ聞きたいけどね』
聞きたいけど、彼を困らせるようなことはしたくないし、彼が今誰を好きだって関係ない・・と続くようなニュアンスを込めている。
『いいじゃん。そんな話はさぁー。な、風祭v』
『そうだよ。将がそんな大事なことお前等に教えるわけないだろ』
しかし、それを打ち破ったのはすでに渋沢と将が付き合っていると知っているメンバーだ。
『何だよ、それ?自分は知ってるみたいな言い方じゃねぇか』
『知ってんだよ。お前等みたいに付き合い浅くないんでね』
今まで会話に参加していなかった真田がムッとした声で椎名に反撃したが、椎名の口に勝てる程真田は口が達者ではない。
ところがそこで口を挟んだのは珍しいことに水野であった。
『・・ふん、よく言うよ。お前だってついこの間知り合ったばっかりのくせして』
『・・・何か言った?』
『別に?』
『学校でも一緒にいる癖に、未だ君付けの甲斐性なしよりよっぽど俺のが将のこと知ってるぜ』
『っ!!』
思い切り図星を指されてさすがの水野も言い返すことはできないようだ。
椎名に言い返せるような輩はそうそういまい。
水野の攻撃など椎名には屁でもないのだ。
『うわー、怖っ・・!風祭、あっち行ってようぜー』
どこかで誰かが衝突すると将を独り占めしようとすかさず話題転換をするのは若菜の得意分野なのかもしれない。
『ちょーっと待った!勝手に俺の風祭連れてくなよ!』
『俺のだぁ?何ふざけたこと言ってんだ。こいつは俺のなんだよ』
『何で、あんたのになるんだ。誰のものでもないだろ』
『何一人でいい人ぶってるんだよ』
『あー、あー!うるさいうるさい!風祭、あっち行こうぜ』
ぎゃーぎゃーと自分勝手に将を取り合うライバル達の声が、朝からイライラし通しだった渋沢の耳に飛び込んできた。
ひどく体の芯が冷えていくのを感じて、渋沢はそのままドアノブを回し部屋へ入る。
彼は監督に1日目のフリータイムを潰されてもキレるほど子供ではなかったが、しかしこれでキレずにいられるほど大人ではなかった。
「あ!渋沢先輩!」
渋沢が部屋へ入ると、将がパッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
しかし、それすらも渋沢の機嫌を戻す効力にはならなかった。
中にいるメンバーは先ほど予想した通り。
少し灸を据えてやる必要がある。
「ど、どうしたんですか?顔・・怖いですよ、渋沢センパッ・・・」
言い終える前に将はぐいと胸元を掴まれて渋沢に引き寄せられた。

ぶちゅう・・

一瞬何が起こったのかメンバーは理解しかねた。
あまりのことに数秒誰も動こうとはせず、誰も声を出そうともせず、呆然とその光景を見つめた。
否、動けず、出せず、見せつけられたと言った方が正しいか。
あぁ・・この野郎様舌まで入れやがってるよ・・・
誰もがショートした思考回路でそう思った。
そしてこの中で一番最初に我に返ったのが、将であった。
「かっ・・克朗さん!!?な、何・・何するんですかー!?」
「「「「「克朗さんーーーーー!!!!!?」」」」」
突っ込むところはそこではない。しかし、言わずに入られなかった。
が、つっこみで我に返ったメンバーが騒ぎ出すその刹那。


ダァァン!


と、鈍い音が響いた。
音のした方へ一斉に顔を向けると、そこに俯いたまま壁に拳の側面を叩き付けている渋沢がいた。
纏うオーラは・・・・殺気。
びくりと体を竦ませて、文句を吐こうとした口を開け放したままメンバーは彼の次のアクションを待った。
渋沢は俯いていた顔をゆっくりその場にいた全員の方へ向け、ギラリと音が聞こえそうな程の鋭い目つきでメンバー一人一人を見やった。
その視線は人をも殺さんばかりだ。
普段の彼の性格からは想像もつかない。
郭や多紀、あの翼でさえも冷や汗をかいている。
三上亮は早々に逃げ出したようだ。
こんな表情の渋沢は見たことがない。
知り合ったばかりのU-14はもちろんのこと、武蔵野森と試合経験のある水野でさえ。
恐らくこのメンバーの中で渋沢のこの顔を知っているのはただ一人。
恋人の将ではない。
同じ学校である藤代でもない。
そう、小学校からの付き合いがある三上亮だ。
彼は渋沢の恐ろしさをよく知っていた。
そしてそれに抵抗することの無意味さも。
だから、彼は逃げた。
渋沢が部屋にやってきた時点で。
卑怯と呼ぶならそれもいい。彼は怪我をする気もまだ死ぬ気もなかった。
渋沢の恐ろしさを知っている人間なら彼が逃げたことに賛同し、彼を賛美するであろう。
よって、今現在渋沢のこの顔を知っている者はこの部屋にいない。
将ですら知らない渋沢のこんな側面。
彼らが平穏をを過ごせているのは、ひとえに風祭将が渋沢克朗のストッパーとなっているからである。
そうと知らずに平和を守っている将。
あぁ、君は正義のヒーローなのだ。ブラヴォー、将。がんばれ、将。負けるな、将。
などと言っている余裕はもちろん誰にもなく。
地を這うような声にすくみ上がる。
「言ってなかったか?なら今もう一度言っておこうか?彼に手を出すのは誰であろうと許さない・・・・例え将が許しても、この俺が」
決して怒鳴っているわけではない。
むしろ声自体は大きくない。
しかし、確実な圧力を持って全員を威圧した。
「返事はどうした・・?」
「「「は、はい!!!」」」
揃った返事にほんの少しだけ機嫌を良くした(といってもー100だったのがー99になった程度だ)渋沢は
彼らに口元だけで微笑んで見せた。

殺される!!!!!

生きた心地がしないとはまさにこのことだった。
動くことの出来ない彼らからようやく目線を外すと、渋沢は叩き付けた拳を壁から離して真下にいる将をポンと撫でた。
「将、部屋に戻っていなさい」
拳を離した壁は心なしへこんでいるようだ。
(心なし!?めちゃくちゃへこんでるよ!!)
ツゥと背中を伝う汗、ゾワリと背筋が震える。
将は困ったように眉を寄せていたが、ようやく口を開いた。
「克朗さん、僕たちただ一緒に話をしてただけなんです」
【僕たち】という言葉に些かムッとするが、渋沢は将には笑顔を絶やさない。
なんでこの無数の好意に気が付かないんだろう、この少年は。
しかし、気付かれたら気付かれたで、少年はこの手を飛び出し誰のモノにもならないと逃げていってしまいそうだ。
このまま調子に乗られて将に告白でもされては堪らない。
渋沢は笑みを深めて将の頭を軽く撫でた。
「そうだね。そうかもしれない。でも、まだ少し俺は皆に話があるから、将は先に部屋に戻っててくれないか?」
困ったように眉を下げていた将だったが、渋沢の笑顔を見て戸惑いながらも小さく頷いた。
「わ、わかりました」
「将はいい子だね。素直な子は好きだよ」
「あの、皆は何もしてないんです。だから怒らないで」
「わかってるよ」
にこりと微笑んだ表情はいつもと変わらない。
将は安心するようにつられて微笑んだ。
「はい。それじゃあ、お先に失礼します」


だ、騙されてる!!?
あぁー、行かないでくれぇ、風祭!! 


彼等の心の叫びは将に届く事はなく、ぴょこんとお辞儀をして将はあっさりと部屋を出ていった。
パタン。と彼等をあざ笑うように扉は閉まってしまった。
対渋沢の最後の希望。
開けてしまったパンドラの箱の底にある希望の光。
彼等はそれが去っていくのをただ見ているしかなかった。


ところで。
ここでどさくさに紛れて逃げ出そうと試みた男がいた。
藤代誠二だ。
それは完全に全員の死角をついた逃走経路だった。
流石は天才ストライカー。
こんな時でも必要となるのはやはり才能なのだ。
が。しかし。彼は要領が悪かった。
サッカーに関しては天才でも、対渋沢に関してはズブの素人。
まだ彼の力を甘く見ていたのだ。
小児科で出されるお子様用のシロップ飲み薬並の甘さだ。
歯が浮きそうになる甘いソレ程に甘かった。
だから彼はあっさりと捕まる事となったのだった。
渋沢克朗のオーダーメイドのMy包丁によって退路を塞がれた。


てかどっから出したその刃物!?
常備してるのか!?
っつうか、刺さったら死ぬぞ!?


思うところは星の数ほどあれど、一人として、一つとして突っ込めなかった。
はらりと髪の数本が藤代の頭から切り放され、藤代はその場にしゃがみ込んだのだった。
「どこに行くんだ藤代?」
「いえ、ちょっとトイレにでも行こうかなぁなんて・・・・」
「我慢しろ」
「はい・・・・・」
スッと何事もなかったかのように包丁を引き抜いてしまうと渋沢は彼らに再び向き直った。


そして・・・・・・・・・























次の日、将は友人達がぎこちなく引きつった笑みで、そして何故かきっちり間1m離して声を掛けてくる
(あんなことがあった後で懲りずに声を掛ける辺り並の根性ではない)のをまったくの上の空で応えていた。
彼もまた、渋沢に灸を据えられたのである。
どんな方法でとは言わないが・・・・。














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このお話は本誌と全く話が噛み合いません。
どうか別の世界のお話とでも思って下さい。是非。
今のところダントツ腹黒。

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